父性

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トリビアの泉が過去のネタの焼き直しだったので、はからずも、亀田の試合にチャンネルを合わせていたのだけれど……非常に不愉快なものを見てしまった。

世の中には、色々な物語の型がある。
多くの物語においては、父性とは超克されるべきものの象徴として扱われる。

偉大な父の超克。
汚れた父の超克。
いわゆるエディプスコンプレックスというやつ。
スターウォーズしかり、巨人の星しかり……紋切り型ではあるけれど、見慣れた物語だ。安心して筋を追うことができる。

亀田の物語がなぜ不愉快かというと、無力な父への同化・汚れた父への同化を見せつけられるから。

自身は何者でもなく、○○の父ということで保たれている存在意義。
金銭や権力に媚びてごり押しした所属事務の移籍。
メディアによって敷かれたイメージ戦略の無批判な踏襲。

そうしたあの父親を「超克」しようとするならば、亀田は敗戦を受け入れるべきであったし、これをきっかけとして「親」「一家」を離れて、改めて真摯に練習に打ち込むべきであった。

難しい話ではないはずだ。現に、女子ゴルフの横峯さくらは(性差はあるけれど)、トレーナーとしての父から離れた自我の形成を試みたことは記憶に新しい。

そういう意味で僕が期待するのは、亀田一家(そしてTBS)には、このまま「悪の帝国」を築いていただいて、辰吉丈一郎の息子、寿希也が、早くプロデビューして、亀田三兄弟に挑み、そして高らかに勝利することだ。

うむ。壮大な辰吉寿希也サーガは、まだ始まったばかりかもしれない。

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このページは、washiが2006年8月 3日 23:43に書いたブログ記事です。

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