身辺雑記の最近のブログ記事
以下の記事を実践してみた。
「ネットで自分の同類を見つける方法は簡単だ。
まず、自分の好きなものの中からなるべく互いに関係ないものを 2 つ選ぶ。
次に、それを Google に叩き込む。
最後に、検索結果の中から日記のログを探し、それを読む。」
私は、スーパーカブと、fILOFAXをGoogleにたたき込んでみました。
そしたら、三重県在住のアウトドア好きのオシャレな方と、国税OBの国際派税理士さん、料理とアイドルとサッカーが好きなプランナーさんらがヒットしてきました。
PADDLER's LOGBOOK
国税OBの国際派税理士レポート!!
Isao Watanabeの'Spice of Life'.
どうでしょう
同類にしていただけるんですかね。
いや、みなさんのBlogは、とても興味深く拝見しまた。
研究費の伝票処理が、今年度から、学内の端末であれば、どこからでもできるようになった。
これはありがたい。
昨年度までは、事務室の専用端末からしか入力ができなかった。
これが億劫で、伝票処理がいつも年度末ギリギリになってしまっていた。
やっぱり、年に数回しかやらないもので、入力のやり方がいつまでたっても身につかず、事務室にいる方々に手取り足取り教えてもらわなければできない状態だった。それが気まずくて、何度もこまめに事務室に行くこともなく、ますますもって入力のやり方をおぼえられない
という悪循環であった。
この悪循環の最たるものが、研究費の執行が滞ることだった。
年度末になって何万円
いや正直にいおう、年度によっては大半
も残っていて、締め日前に慌てて消化することがあった。
今年度は、良い循環に入っている。
自分の研究室で伝票処理ができるので、試行錯誤しながらも入力を済ませることができた。
自分が建替えて執行したものは、入力しなくても、実害はないのだけれど
請求書で来ているものは、きちんと入力しないと関係各所に迷惑がかかるので、おそるおそるやってみたのがきっかけだった。
最初からはうまくいかず、書類不備で突き返されること幾たびかではあったけれど、今は自家薬籠中のものである。
どんどん研究費も執行が進んで、ここまでなかなか良い研究環境が整っている。
目下の悩みは、研究費がほとんど残っておらず、不測の事態が起こった場合は、自腹を覚悟せねばならんということ。まぁ当然といえば当然だけど。
あとは、研究自体をきちんと進めるだけ。がんばらないと。
8月も終わって9月になってしまった。
昔、誰かが言ってたな「9月1日の空は、何かが違う。同じように晴れていても、昨日までとは別なものだ」と。
8月にやり残してしまったことがたくさんあるような気がする。
夏休みの宿題を慌てて片付ける子どものように、昨日、AO入試の面接官をやったついでに、タスクリストを片っ端から消化してきた。
火事場の馬鹿力の一種で、だいぶ片付いたけれど
それでも、かなり残ってる。
片付けられないタスクは、結局、複雑だったり、不快だったり、失敗するのが怖かったり
片付けられないなりの理由があるもの。
その障害を取り除かなければ、結局、いつまでたっても片付かないのである。
その障害とじっくり向き合う一手間を掛けたい。
最近、ものを書くのが億劫でしょうがない。
そもそも、キーボードの前に座っていない。
2chのまとめサイトを、ベッドに寝転んでiPadで見てばかり。
受動的なことばっかりやってて、能動的なことをやってない。
どこかの大学の先生が、「Blogを書くのは社会貢献、すなわち、職務の一環」と、Blogに書いていた。
なるほどなぁ
。
わかるけどなぁ 。
でも、億劫なんだよなぁ 。
今の職場では、ラフな格好をしている。
まぁ、カブで通勤して埃だらけになるし、ケーブルの取り回しや何かで床に膝をついたりすることもあったりするから、ジーパンにワイシャツぐらいがちょうどいいのだ。
スーツを着るのは、防御力が上がるような気がして好きなんだけれど、今の仕事の内容と釣り合わない。そうこうしているうちに、体型や流行に合わなくなってしまったので、着るのが恥ずかしい状態になってしまった。
服装は、周りに合わせるとすると、上にジャケットを羽織るか、チノパンにするか
本当はもう少し、フォーマルにした方が良いんだけど
と気にはなってる。
しかし、今の職場では、この6月から研究室の空調が止められてしまった。
冷房が止められただけでなく、送風もドライも全部ダメ。
窓を開ければ、隣接する中学校・高校のグラウンドの体育や部活の騒音が入ってくる。
それは我慢しても、夜は虫が入ってくるので、窓を開けてはいられない。息苦しいったらない。
そんなこんなで、服装ぐらい楽にさせてくれ というのが率直な気持ちである。
夏の服装で問題になるのが、ワイシャツの下に下着をつけるか
ということである。
私は、つけない派なんだけれど、これが評判がよろしくない。
特に女性から評判が悪い。
でもなぁ
ドレスコード的には、ワイシャツの下の下着はNGなんだよ
。
若い頃、T社のT社長の鞄持ちで、某ベンチャーのF社長との顔合わせに行ったことがある。
F社長は、さすがに立志伝中の人物で、その人柄に感銘を受けた。
帰り際、お土産で、上梓したばかりの自書を渡されて、面白く読んだ。
F社長は、若い頃、電気会社の貿易部門で勤めていて、そこで海外とのビジネスのプロトコルを学んだとのことだった。
日本のビジネスの非常識をいくつか痛感したけれど、その中の卑近な例として、ワイシャツの下の下着を挙げていたのがとても印象的だった。
以来、自分は、海外と仕事をするわけでもなく、自分でベンチャー企業を立ち上げるわけでもないが、ワイシャツは直接着ると決めたのだった。
とはいえ、この直接ワイシャツ派は、はなはだ旗色が悪い。
アンケートをとれば少数派だし。ファッション解説者も「ドレスコードはNGだけれど、日本の気候には合ってないし、周りを不快にすれば元も子もないし、下着をつけましょう」と言っている。
まぁ、女性は男性のドレスコードなんて知らないだろうし、気にしないだろうし
海外とのビジネスプロトコルより、目の前のおっさんの見苦しさ・暑苦しさの方が切実な問題だろうしなぁ
。
わかる、わかるよ
でもなぁ
なんかなぁ
。
ワイシャツの下にランニングシャツが透けて見えるのはおっさんっぽいし
Tシャツが透けて見えるのは田舎の中学生っぽい
と感じてしまうんである。
ファッションの大きな流れとして、下着のアウター化、カジュアルのフォーマル化というのがあるのは承知している。
たとえば、Tシャツだって、下着のアウター化だし、背広や狩衣だってカジュアルのフォーマル化だ。
だから、色・柄・キャラもののTシャツを着て、その上にワイシャツの前をあけて羽織るようなスタイルは、時代の流れに沿ったものと納得が行くのだけれど
さすがに仕事をそのスタイルでやるのは憚られる。
最近、ユーロ2012が始まって、夜中のサッカー中継を見るとも無しに見てるのだけれど
監督たちは、皆、直接ワイシャツを着てるよなぁ。
ドイツのヨアヒム・レーブ監督なんて、特にかっこいい。
あぁいうスタイルを個人的にはしたいんだけどなぁ
共感してくれる人、周りには少ないんだなぁ
。
残業中に、見るとはなしに見てしまったのが、AKB総選挙。
そんなに興味はないんだけれど、結果的に色んなことを考えさせられた。
最後は、1位大島のコメント中にテレビ中継が終わる
という、テレビのメディアとしての限界を印象づけられたり。
個人的に一番印象的だったのは、パブリックスピーチの出来不出来。
「学校のセンセイには、結婚式でマイクを持たせるな」と言う。
理由は、話がグダグダと長くて説教臭く、聞く人が退屈しちゃうから。
自分はそう言われるような人になるまいと、パブリックスピーチの出来には敏感なのである。
その一方で、個人の体験としてパブリックスピーチがうまいなぁ
といつも感心してるのは、中央省庁のお役人の方々。
経産省にしても、文科省にしても、厚労省にしても、総務省にしても、色んな役所の方、いずれもうまかった印象がある。
集まった人たちへの配慮、会の趣旨に沿ったあいさつ、具体的な情報やエピソード、今後の指針、総括
など。
まぁ、いつもいつも同じような話をするから持ちネタとして練り上げられちゃうんだろうなぁ。
AKB総選挙の場合、ランキングの上位下位、ランクのアップダウン、キャリアの新旧などによって、スピーチの中身が違うのは当然で
一概に出来不出来を斟酌するべきものではないのはわかってる。
たとえば、ランキング上位・ランクダウン・キャリア旧の篠田麻里子と、ランキング下位・ランクアップ・キャリア新の松井咲子を比較しても無意味ではある。
スピーチの出来不出来も、歌の上手い下手、ダンスの上手い下手、スタイルの善し悪し、顔の善し悪しと同じく、タレント要素の一つに過ぎず、それが人気を決定づけるすべてでもない。
まぁ、それを踏まえて、スピーチの自分としての評価や好みを言えば
ランキング上位陣のスピーチ内容は、「AKBとは何か」「選挙で順位を争う意味とは何か」というような観念的なものが多く、共感しきれなかった。きっと、普段から、一生懸命AKBを応援している人たち、今回の選挙の順位を推しメンと一緒に一喜一憂している人たちにとっては、新たな教義の解釈として神聖なものになるのだろうが
。
なんというのだろう
喜びや感謝 そういう感情に寄り添う気持ちになれるスピーチは、すごいなぁと思う。
自分が主語になっていて 具体的なエピソードがあって 一文一文が短くて 一対一で語りが成立していて 間があって 特殊性と普遍性が結びつき 飽きさせない時間の中で きちんとクロージングもできている という意味で、峰岸みなみのスピーチなんかは、技術的にもたいしたものだなぁ と思った。
勉強になりました。
ゼミの4年生+3年生有志で、ビアガーデンに行ってきた。
卒業研究登録票の提出おつかれさま会ということで。
別にお酒は一人で飲めるけど、ビアガーデンに一人で行ってもつまらないもんなぁ。
みんなでわいわいと飲むのが最高だ。
大学から近いビアガーデンということだと、池袋か新宿ということになる。
帰宅の足の都合が良いという個人的な要望と、見晴らしが良いという理由で、池袋東武デパート屋上の「炎のプルコギ伝説」にばかり行っている。
もう4年ほど行っている気がするが、今年は寒かった。
日中曇っていたのと、風が強かったのが要因かと思う。
鍋用のカセットコンロの火がありがたいぐらいだった。
しかし、酔っぱらうとそれも関係ない。
陽がだんだんと落ちてきた時の夕焼けの眺めも最高だった。
屋外で飲む、ビアガーデンの醍醐味だなぁ。
いやしかし、はしゃぎすぎて、飲み過ぎた。
普段、学生のみんなと一緒に飲みに行くお店の飲み放題は、ピッチャーが空いたら補充
というスタイルが多い。だから、ある程度、ペースが抑制されるのだけれど。
ビアガーデンは、自分でガンガン注ぎ放題だったので、ペースが早い早い。
おかげでちょっと二日酔い気味。
自分以外にも、ちょっと酔っぱらい気味だった学生がいたけれど、きちんとケアしてあげれば良かった。
誰かにきちんと最寄り駅まで送らせるとか、タクシー代を渡してあげるとか
。
そんなこんなで、猛烈に反省中。
木曜の夜から金曜の朝に掛けて、夜中に起きたら眠れなくなってしまった。
ベッドの上でまんじりともしないので、「いっそ眠くなるまで起きていよう」と、起きて本を読み始めた。
図書館への返却日が迫っている積ん読になっていた本がいくつかあったからだ。
上條晴夫『授業導入100のアイディア』
上條晴夫『よくわかる授業上達法』
小学校の教諭のための本だけれど、大学のセンセイだって(もしかしたら職場の先輩だって)、人にモノを教える という意味では同じだ。
自分は、今の職場に移って7年めになる。
非常勤講師やカルチャースクールの先生ということだと15~6年経つと思う。
長らく「教える」ことを仕事にしてきたのに、その技術についてはきちんと勉強したことがなく、我流の積み重ねでやってきた。
PCやソフトウェアのテクニカルな部分の授業については、最終的な目標も、それに至る道筋もハッキリしているから、教える技術の最適化も自分なりにできてきたと思う。
しかし、座学の講義は難しい。ずっと手応えを感じられずに来ている。
そんな中、図書館でふと手に取った、小学校の教諭向けに授業の技術を説く本が、色々と学ぶこと、得ることが多い
ということに気がついたのだ。
今更かもしれない
でも、「過ちを改めるに憚ることなかれ」というやつだ。
過去の自分の大きな誤解を懺悔すると、「座学の講義を『企画提案』や『発表プレゼンテーション』の延長で考えていた」ことだ。
自分は、教える以外の仕事として、企画の提案や、営業的な説明や、要点をかいつまむ発表などをする機会が多かった。そして、お世辞やねぎらいを真に受けて、「自分のプレゼンって結構イケてるかも」と天狗になったこともあった。
そうした勘違いした成功体験が、座学の講義をプレゼンの延長と考えてしまう要因だったと思う。
この考えに捕らわれていると、授業中に眠ってしまう学生や、退屈そうにしている学生を何とかしようと考えた時、「もっと上手いプレゼンをしよう」という発想になってしまう。これは、問題の解決にはならないのである。
なぜなら、座学の講義は、教員のプレゼンテーションの場ではないからである。
「授業とは、教育内容から学習者に適した教材を取り出しそれを目標化すること」
今更ながら、確認したい。
実際、テクニカルな講義は、それができていた。そして、座学はできていなかった。
秋学期、300人近い1年生を相手にした講義科目が予定されている。
さて、どういうふうな授業にしたら良いんだろう。
学習者は、大学1年生
言ってみれば、高校4年生だ。
彼らに適した教材を取り出さなければならない。
そしてそれを目標化する
つまりゴールを決めて、それに至る道筋をいくつか用意して、学生諸君が努力・工夫しながらそこにたどり着けるように、フィードバックを送り続ける必要があるということだ。
一筋縄ではいかないが、「上手いプレゼン」よりは、努力の方向性としては正しくなったと思う。
そんなことを考えていたら、寝たのは結局、明け方5時過ぎだった。
1限の講義に遅刻せずに出勤した自分を誉めたい。
新藤監督が亡くなった。ご冥福をお祈りする。
直接お見かけしたことがある。
立ち上がったばかりのT研究所で、昔、特別講義をしていただいた時だ。
奥様の音羽信子を亡くされて、半年ぐらいしか経っていなかった頃だったと思う。
どういう経緯で依頼が届いたのかはわからない。
研究所の偉い人のツテだったのだろう。
新しい組織というのは、時にイレギュラーで面白いハプニング的なことが起こるものだ。
私も、研究生に混じって、野次馬的に聴講させてもらった。
「監督を志す人は、シナリオをたくさん書かなければならない」というようなことをおっしゃっていたと思う。
その言葉がみんなに届いていたのかはよくわからない。
現に自分自身もうろ覚えだ。
しかし、はっきりと憶えているのは、新藤監督の居住まいだ。
毅然として揺るぎない話しぶり。
小柄だったが、だからこそなのか、ダイアモンドの粒のように輝いて見えた。
畏怖の念を自然と感じさせるあの居住まいは、今なお印象的だ。
惜しい方を亡くされた。
改めて作品をいくつか見直してみたい。
ちょっと前に「タニタ食堂」がブームになり、ミーハーな私も、丸の内タニタ食堂に行ったりした。
結局、感想としては、「これは、割高な社食・学食だ」というもの。
だったら、普通に社食・学食に行けば良い。社食は、解放されているところはそんなにないけれど、学食なら、出入り自由なところは結構ある。
そんなわけで、
東洋大学の白山の学食や、東大の駒塲の学食に、行ってみたりしたのだが、考えてみれば、自宅に最寄りの拓殖大学の茗荷谷の学食にはまだ行ってなかった。
今日、出かける前に、拓殖大学に立ち寄ってみた。
すると、あにはからんや、キャンパスの大規模改修中ということで、学食が入っているH棟は、この5月初旬から取り壊しになっていた。
しょうがないので、駅前にあって、今まで気になっていたものの入る勇気が無かった、汚めの小料理屋に入ってみた。
想像通り、年季の入ったお店で、髪の毛を緑に染めたおばあさんと、紫に染めたおばあさんが、メインで切り盛りをしていた。お客は、ビジネスマンや学生とおぼしき人たちがひっきりなしに出たり入ったりで、意外にも、結構活気があった。
さばの塩焼き定食をオーダー。
昼間っから、ビールが飲みたくなるような塩っ辛さだったけれど、これはこれでアリだなぁ
と。
カフェやファミレスなんかじゃ味わえない、ド定番っぽい定食だった。
また、行く機会がありそうだ。