先進国

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日本は「先進」国なの? 日本人はほぼ100%の人がYesと答えると思うけれど、それは当たってるのか? 確かにOECDにも加入してるし、G7のメンバーだけど、それが「先進」国の条件なのか? −−今、僕は、「日本は『先進』国なんかじゃない」という思いを強くしている。

日本中心主義の人は、「法隆寺は世界最古の木造建築」「奈良の大仏は当時の最大の鋳造仏」「先物取引は大坂・堂島が発祥」などの例を挙げて、日本が連綿と先進国であるかのような言説を弄して、日本人の自尊心を慰撫しようとするけれど、それは妥当なのか?

5000年、いやもっと前から、18世紀の清朝の途中まで、中国が世界の最先進地域であったことは論を待たないが、現在において先進国かといえば、多くの人が疑問を持つだろう。すなわち、「先進」国かどうかというのは、一旦、なったからといって、未来永劫保証されるわけでもないのだ。

最近、韓国の新聞を読んでいたら、「先進国入りするにはどうすればいいのか」という特集記事があり、彼らの分析では、日本が先進国入りしたのは、中曽根政権頃という。
その分析の妥当性はともかく、「『先進』国とは何か」、「『先進』国となるためにはどうするべきなのかと問いかける姿勢は、現在の日本に欠けているものだ。そして、現在の日本にこそ必要なものではないかと、僕は思うのだ。

「今の日本が『先進』国ではない」という思いを僕が強くしたのは……
・裁判員制度に対する拒否感を持っている人たちの、その理由の逃げ腰姿勢
・Winnyでの警察の捜査情報の流出の原因になっている国民管理方法
・車載カメラで事故の模様を記録した映像があるにもかかわらず、警察が捜査しなかった騒動
……などなど

個別に挙げると長くなるけれど……

裁判員制度に拒否感を持っている人たちの、その理由がヤフーアンケートに列挙されていたけど、「自分は裁けない」「裁判員をやりたいと思う人は異常」「忙しい」云々。
そんな人たちは、「自分が裁かれる側に立った場合のことを想像したことがあるのか」と思う。
一部の特権階級、国家権力の手先が恣意的にする裁きに身を委ねてそれでOKなのか? まぁ、裁判員を構成するのは、マスコミやら何やらに影響されやすい衆愚だけれど……。「自分の運命を決めるのを任せるのに、エリートと、衆愚とどっちが良い?」 その問いかけに、自由と民主主義を重んじる「先進」国の国民なら、どっちかといえば衆愚を選ぶものだと僕は思っていた。
……そうでもないんだな。
裁判員制度に意義を見いださない人は、おそらく、平気で選挙を棄権した挙げ句、宗教団体や業界団体の組織票が推す候補ばかりで議会が構成されても、危機を感じない人と同一人物だ。そして、それが、この日本では過半数を超えるのだ。

Winnyによる(正確にいえば、ウィルスやワームの感染による)個人情報(ひいては、国家の機密)の流出を防ぐには簡単だ。ほかの「先進」国のように、「オトナが見るものだったら、映画や写真で、性器が露出してもOK」という風に基準を変えれば良い。
陰毛処理が義務ではなくなったのも、別に法律で決まったというわけではなく、警察が取り締まらなくなったので、なし崩し的にそうなったのだ。陰毛が映っていれば、即「猥褻」となっていた時代は、欧米の「先進」国の芸術映画でも一律に適用されて、日本の司法や警察は、「先進」国のアーチストから、批判と嘲笑に晒されていたのだ。
もしも、取り締まりの基準が、エリートではなく、衆愚によって決められるのならば、ヘアヌードの解禁ももっと早かっただろうし、現在の「性器露出、即、猥褻」という基準も根拠を失うだろう。
Winnyでのファイルのやりとりは、大半が、今の日本で合法的に入手できないエロ動画だ。だから、利用者が後を絶たないのだ。さっさと、猥褻の基準を「先進」国に揃えて、性器の露出や結合が合法的に見られる状況をつくれば、Winnyの利用者は合理的な水準まで落ちるはずだ。だいたい、P2Pソフトは、世界中にゴマンとあるけれど、それで、国の秘密まで暴露されているような国があるか? 少なくとも「先進」国には無い。

猥褻の基準と同様に、ギャンブルの基準も日本は「先進」国ではない。カジノが存在しない「先進」国はないのだ。カジノはおろか、日本では、ギャンブルそのものが禁止されているに等しい。国民を「オトナ」として扱わない国が、「先進」国であるはずがないのだ。
一方で、パチンコなんて、法律を厳密に適用すれは、今日にもすべて営業停止にすることができる。それでいてtotoはギャンブルではなくクジや寄付、競馬は家畜の品評の一環、競艇や競輪は産業の振興だという詭弁……。
こういう矛盾が放置されているのも「先進」国ではない。

車載カメラで事故の模様を記録した映像があるにもかかわらず、警察が捜査しなかった騒動も、警察の不作為たるや、なんとも苦々しい。
この一件で改めて思ったのは、2chをはじめとする匿名ネットによる社会正義の達成と、mixiでいとも簡単にさまざまな個人情報が暴露されてしまう恐ろしさ……。

なまじ、身辺雑記を書くより、仕事のこととか考えてることとかを書いてた方が、当たり障りがないのかなぁ……。
いや違うな。身辺雑記にも当たり障りがあるのとないのがあり、仕事のことや考えることを書くのにも当たり障りがあるのとないのがある……ということなんだろう。
社会との摩擦を恐れずに書くのか、それとも、恐れて表現しないのか……。
摩擦を恐れない方向を突き詰めていけば「トイレの壁」になり、摩擦を恐れる方向なら「チラシの裏」になる……ということかな。

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このページは、washiが2007年6月14日 19:59に書いたブログ記事です。

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