洋館とフランス料理の街

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連休中、弘前にも足を伸ばしてみた。
高校を卒業した春休みに一度行ったきりだから、だいぶ経つ。
弘前城の桜を見たのは、小学生の頃以来か。
まったく別の町という感じ。

駅は、近在のお婆さんたちが露店を出していた薄汚れた感じではなく、こざっぱり。
土手町は、雁木を備えた木造商店はなくなって、広い道路にアーケード。
昔のいかにも「津軽」という雰囲気はもちろん素晴らしかったけれど、今の感じも個人的には嫌いじゃない。
というか、僕の実家がある町が、すっかり寂れて、中心部の商店街もシャッター通りを通り越して空き地と駐車場だらけになってしまったことに比べれば、どんな形であれ、活力が感じられるのは喜ばしいことに思われてならない。

びっくりしたのは、弘前が「洋館とフランス料理の街」というキャッチフレーズで、観光資源の掘り起こしをしていたこと。
弘前城へ向かう道すがら、洋館を眺めつつ、ぶらぶらする。
ランチを「レストラン山崎」で。
弘前フレンチの仕掛け人のお店。
りんごの冷製スープ」が、この上なく美味。まっとうな食材をまっとうに料理すると、まっとうな味がするという典型。
帰りには、隣に併設されたパティスリーで「バナナケーキ」をお土産に購入。
軽井沢の「エルミタージュ ドゥ タムラ」とか、勝沼の「」みたいな感じで、地方地方に良いレストランが増えると日本ももっと楽しくなるな。
ミシュランガイド、今度、東京版が出るらしいけど、やっぱり日本は、東京の一極集中なのかな。フランスのミシュランガイドって、車でのツーリスト向けのレストラン指南なわけだから、基本、汎フランスで地方のレストランガイド、という理解なんだけど、俺は。だから、地方に目を向けて、汎日本的なレストランガイドの成立は……そんなのは、難しいのはもちろんだけれど、日本ではそもそも求められてないのかもしれないな。やっぱり。というか、「るるぶドコソコ」があれば用が足りるか。

駅前でもらったチラシにしたがって、スタンプラリーをしてみる。
お城に近づくにつれて、ふと気がつくと、前川國男の建物が一杯あることに気がつく。展示内容に格段の興味はなかったが、彼が設計した博物館の中にも入ってみた。
弘前の洋館は、すべてに堀江佐吉という大工が関わっている。彼の建築が、今の観光資源に繋がっている。そこから敷衍すると、この前川國男のモダニズム建築群も100年後に、新たな観光資源になるのではないか。おそるべし、弘前。

弘前城の桜については、何も言うことはない。日本一。以上。

ライトアップまで粘って、晩飯を「」という郷土料理のお店で。
コースのシメで、玉子ごはんが出てきたのだけれど、このただの玉子が、驚愕の一品。でかい。殻が固い。ホントに鶏の玉子? ワニとか? プラスチック製のおもちゃ? といぶかるほど。弘前近郊の農園で、有機で育成されたものだとのこと。まぁ、一事が万事で、こだわりの食材で作られた美味いメシと肴。
とどめに、津軽三味線のライブが始まる。やばいね。なんか、こう、来る。

駅に向かったら、春ねぷたの行列と遭遇。
なんだか、盛りだくさんな一日だった。

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コメント(8)

yuyang2.0 :

おぉ、懐かしの弘前。
土手町中央のあたりを脇道に入った喫茶ひまわりの
豆腐チーズケーキをまた食べたいなぁ。

杏のリンクURLが途切れていましたよ。

washi :

弘前、改めて、素敵なところだと思いました>yuyang2.0さん
新幹線が八戸じゃなくて、弘前を通っていればなぁ……
喫茶ひまわりには、いつか行ってみたいです。

#url指摘ありがとうございます。修正しておきました。

柴犬 :

秋田北部の子と長距離でおつき合いしていた頃に、弘前はよく行きましたので、甘酸っぱく懐かしく読みました。津軽は林檎とか太宰とかじょっぱりとか、関東が忘れた頃に満開になる桜とか、風土に個性を感じるところですよね。津軽弁の語感はフランス語に似ているとも言われますから、この町おこしは結構いいかも知れません。それから、washiさんの故郷はそんな風になってしまったのですね。あの辺では中心地なのにね。ここにも彼女と行ったきりたんぽの店、お気に入りだった洋食の店などあるんですが、ダメになってしまったのかな。。。

washi :

どもども>柴犬さん
「津軽」は、確かに風土に個性を感じますね。
そして、それは、江戸・上方の人たちの「東北人」のイメージをかなり規定しているところがあって、「日本のウェストコースト(=能天気≒バカ)」たる秋田の人には、反発とも蔑みともつかない微妙な感情をもたらすのです……。
JR東日本の「できるだけ単価の高い旅をさせよう」という戦略が変わらない限り、これからもどんどん津軽のプレミアム感・ブランドイメージは上がり続けるものと思います。春は弘前の桜、夏は青森のねぶた、秋は十和田湖・奥入瀬の紅葉……。首都圏のJRの駅に貼ってあるポスターは、どれも旅情を誘うものばかりですよね……。

北秋田の地方は、地場産業が全部ダメ。米作農業がダメ、秋田杉がダメ、採鉱がダメ……過去の延長では、良くなる要素が無いですなぁ。
なんとかする・できるのは、「ヒト」「人材」によるかと思うのですが、そもそもその分野が先んじてダメになってしまったのではないかと。
#地元の高校のレベルが下がる一方なのが象徴的
あのあたりは、革新勢力が強いんです。安藤昌益、小林多喜二らを生んだ風土ですよ。社会党から30歳代の市長が出たこともありましたね。
労働党政権後に英国病に陥ったイギリスみたいなもの(?)
英国病の克服は、新自由主義(規制緩和・市場原理重視)によってなされたけれども、日本の田舎においては迷走状態……日本は小泉改革で着手というかポーズをとったけれど、ぜんぜん不徹底。そもそも覚悟が決まっていない。この辺りは、メディア(あるいは民主党)の責任は重いんじゃないかなぁ。田舎ほど、テレビ(=NHK)の影響は大きいから。
まぁ、今やヨソモノの私が言うことではないですね。

……と、前振りが長くなりましたが、聞き捨てならないですね>「秋田北部の子と長距離でおつき合いしていた」
・秋田北部の子とは?
 ・俺が知ってる人?
 ・某Wコジ関係?
・おつきあいしていたとは? そこを時系列を追い詳細に……
 ・おつきあい以前
 ・開始状況
 ・継続発展段階
 ・カタストロフィの萌芽
 ・(終焉?)
・今後の展望について

……根掘り葉掘り聞きたい(聞かずにはいられない)ところですよ!

柴犬 :

穏当なレスポンスだと思っていたらいつの間にか加筆されていた。。。今のぞき直すまで知らなかったよ。
まず、会社でアルバイトしていた子。
なので、君は知らない。
酒井美紀に似ていて純朴で声がかわいらしくアニメ声優そっくりでした。
その時と、卒業後東京で働いていたときに数回デート。しかし、自然消滅。
私が長崎にいたときに、実は故郷に帰っていると電話有り。それはただの挨拶でこちらもあまりに距離がありすぎて以降進展せず。
その後東京に転勤したとき、バイクで東北ツーリングをした。試しに電話をしてみたら、話が弾み、出先で会うことに。そこでいっしょに食べたのが、大舘のきりたんぽ。「秋田では、“召し上がってください”を“あがってたんせ”って言うんですよ、ふふ」と、例のアニメ声で言う。「おれにとってずっと君は可愛いままだよ」などと言って会うようになった。
弘前・小安峡・十和田湖・能代・目黒庭園美術館などで会いました。しかし、基本的に男とつきあうのに慣れてないと言うか、潔癖でかつ女友達と過ごす方が好きな人。という事が重なり、もどかしい思いが続き、こちらもなんかもういいやと思ってしまった次第。でも、まるでメルヘン小説のような清らかな思い出なのだ。

washi :

嗚呼、なんということでしょう……聞いてしまって、なんだか、申し訳ないような気分になってしまいました。
あるいは、なんか、こう、眩しいような気持ちとでも言うか……。
#てっきり、適当にはぐらかされると思ったのに、真っ正面からの返事があったので、うろたえてます……。

柴犬 :

まあ、こうやって書けるということは、もうふっきっているとなんでね。自分の日記にも書いたしね。去年の4月頃。こういう風に具体的に聞かれると、いつも他人様の事を根ほり葉ほり聞くことを生業にしている私は罪滅ぼしに反応してしまうんだよね。

washi :

どもども>柴犬さん
物見高い私は、改めて見に行ってしまいました……もうあの事件から1年なんですね……。
ともあれ、罪滅ぼしに貢献できたと言っていただけて、私の気持ちも少し靖まりました。ありがとうございます。

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このブログ記事について

このページは、washiが2007年5月 6日 09:31に書いたブログ記事です。

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