杜の都

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東京に戻る前、仙台で小休止。1泊した。
浪人生のとき、仙台で悶々鬱々とした1年を過ごしたのだけれど、それ以来の仙台。

浪人時代は、予備校の寮と、予備校の往復。
最初に根を詰め過ぎたせいか、受験直前になったら、なんか、もう勉強する気がなくなってしまい、授業をさぼって、中央通りをぶらつき、東北大学のそばの古本屋に入り浸り、寮では回覧板のように回ってくるマンガ誌とエロ本を読み、いつもどこかで繰り広げられている部屋飲みを梯子……と、まぁ、ダメな浪人生を地で行く展開だった。

予備校の寮の中庭に、テニスコートがあったのだけれど、日曜日の朝に、女子寮のコたちと、テニスをしているグループがたまにいて、その楽しそうな嬌声で目が覚めたときとかは、腹立たしかったなぁ……。
想いを同じくする仲間たちと、日を改めて、テニスをしてみたが、男同士で球を追いかけても楽しくもなんとも無かった。5分で飽きた。二度と誰も「テニスをしよう」なんて言わなかった。

金も無かったし、やる気も無かったし、希望も無かったし……そんな頃に過ごした街なので、仙台に対しては良い印象は、個人的には、まったく無い。

とはいえ、時の流れというのはよくできたもので、最近は、そんな仙台のことが懐かしくも思えるようになってきた。
盛岡などへの所用で、新幹線で何度か仙台を通過するうちに、もっとじっくり仙台のことを見てみたいと思うようになったのだ。

いやー、降りてみてびっくり。仙台、大きく発展したなぁ。
僕がいた頃は、東京でいったら吉祥寺とか錦糸町ぐらいの感じだったけれど、今は池袋ぐらいな感じまできてる。
暮らしやすさ、住みたいなと思わせる感じでは、むしろ池袋をしのぐなぁ。

昔の印象では、女性が不細工というものがあったけれど、それもだいぶ緩和された感じがする。こちらの心境の変化なのか、発展過程で他地域からの流入がたくさんあったからなのか、ゴールデンウィーク中で旅行客が大勢いたからなのか……理由はわからないけど。

街の中の緑も、昔は定禅寺通りがちょっと充実していただけで、他の通りは別に大したことなかったのに、今は、青葉通りも広瀬通りもそれなりに見れる感じがする。杜の都の名に恥じない。

仙台市内の周遊バス「るーぷる」で、名所を回ってみた。
瑞鳳殿や、青葉城には、今回、初めて行った。
仙台メディアテーク」は、前から興味があったのだけれど、行くのがちょっと気が進まなかった。「どうせ有名建築家を使ったハコモノ行政だろ」と。ところが、カフェでくつろぐ人、図書館を使う人、ガラス越しの定禅寺どおりの緑をみながら語らう人、展示会を行っている小さなサークル……と多種多様な楽しみ方をする人であふれていた。実際、家のそばにこんな施設があったら、いいだろうなぁと思えるような施設。
折しも、設計した伊東豊雄の展示をしていて、元事務所の方が解説しているワークショップに遭遇。
モグリでいろいろ裏話を聞いて楽しかった。
実は、うちの田舎にも伊東豊雄の手による公共施設があるのだけれど、パンフやそこらじゅうで、「伊藤」と誤記してあって、リスペクトのかけらもない。活用もこんなふうな日常的な感じじゃないなぁ……。見識の差というやつか。廃れる自治体には相応の理由があるのだろう。

ともあれ、昔との一番の違いは、牛タンのお店の増えたこと。そして、そこかしこの店で大行列してたこと。まぁ、昔は、金もなかったから、ほとんど外食なんかしなかったけれど……。
行列に1時間以上並んでありついてみたら、これが、東京の牛タンとは似て非なるシロモノ。素材の牛タン自体は、オーストラリアで同じなんだろうけれど……調理法が違うということなんだろうなぁ。

ちょっと駆け足だったので、また改めて行きたいな。
正月の初売りの福袋、仙台が発祥らしく、景品表示法の特例が認められているらしい。法律なんかより、はるかに長い歴史があるから。
正月を仙台で過ごすことを検討してみるか……。

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このページは、washiが2007年5月 7日 01:20に書いたブログ記事です。

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