タモリの後塵を拝するオタキング

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今月号のサイゾーの、岡田斗司夫の「夢の島メディア考現学」で、東京国際アニメフェアのアニメ評論文コンテストについて書いていた。趣旨としては……評論は、評論として評価されるべきで、アニメに資するか否かで評価すべきではない……という自身の主張をめぐる、主催者・他の審査員との対立の悔恨である。

個人的には、僕は岡田斗司夫の主張は正しいと思う。
彼の言うとおり、優れた評論というのは、それ自体が、ひとつの独立した表現だ。
上手な提灯記事を書いた人間を表彰して金を渡しても、そんな行為にサスティナビリティは発生しない。そこには、意義がないからだ。実際、第2回以降、岡田斗司夫がいなくなってから、そのコンテスト出身者が活躍しているとも聞かない(僕が知らないだけかもしれない……だとしたら失礼)。あげく、コンテストの趣旨が迷走し……こんな調子では、次回の開催はあるのだろうか……という状況だ。

優れたアニメ評論というのは、アニメを抜きにしても成立する。
建築の評論が、建築家以外にも読まれるように。
タモリがその昔「ハナモコシのシェネ-地中海風」というネタでやったように、どんな材料を使っても、料理はできるのだ。その食材が架空のものであったとしても……。

とはいえ、そうしたことは自明なのであって、改めて、コンテストの受賞作の選出過程や、表彰式の講評の場で議論するまでもないことだ。
主催者やほかの審査員とその認識を共有できなかったのは、不幸なことには違いはないが……。
そのあたり、オタキングは、タモリの後塵を拝していると言わざるをえないだろう。

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このページは、washiが2007年5月22日 17:01に書いたブログ記事です。

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